墨成

編集後記(2022年10月)

▼生田博子先生からカラー刷りの立派な『米国書道研究会創立五十七周年記念誌』をお送り頂きました。博子先生が二十四歳で故観周先生と渡米されて七十年、生き馬の目を抜くような厳しい競争社会のアメリカで、日本文化の普及活動をされてこられました。原動力は何だったのでしょう。九十歳を超えられた現在の博子先生に窺うことが出来ます。

偏にそれは、書くか書かないか。やるかやらないか。好きか嫌いか。意思を貫き通す意志があるか、覚悟があるか、と問い続けられた幾星霜ではなかったでしょうか。「海外に在ってこそ知る日本伝統文化・芸術の素晴らしさが世界を結ぶ架け橋になる事を信じた」道程であったに違いありません。

▼かつて博子先生に「大変な日々でしたか」とお聞きしたことがあります。先生は「そんなに大変と思ったことはないのよ」とさらりと仰ったことが忘れられません。一日に三か所の教室を駆け回ったことなどさらりと流し、純粋に書が好きという事を貫かれた先生の言葉には重みがあります。

▼数々の賞を受けられた博子先生の凜とした“晴れ”のお着物姿には威厳があります。が、その陰に、淡々と整然と事務的作業をこなされる作業着姿の先生も確かにおられます。文化(Culture)とは奪うものではなく耕し続けることを、身を以って示されています。(神原藍)