墨成

編集後記(2019年12月)

▼空海の『風信帖』を第一・二・三通と三年に亘って掲載してきました。三通ともに最澄に宛てた手紙ですが、第一通は空海の代表的な書。これまでも何度か臨書を重ねてきました。それに対して第二・第三通を二年間臨書してきて、「書は散なり」と語った空海の書の芸術観や偉大さに触れた思いです。

▼空海と対比される最澄の書「久隔帖」を“書と文化”に掲載しました。最澄は空海とは対照的に「自分の書はただ字形にあやまりなからんことを思うのみ」と語っています。後に空海と最澄は決裂しますが、書や言葉からも彼らには大きな違いがあることが解ります。

▼端正な最澄な書は、清らかで生真面目。王羲之流から外れることはなく、最澄の「一隅を照らす」(片隅で社会を照らしている人が世の中の宝)の言葉にも表れています。謙虚な最澄の言葉は、現在生きている私達への励ましの言葉にも思えます。

▼拡大解釈すれば、長いようで短い人生、自分が歩いている道を究めよ、という事でしょう。自分の才能を卑下し、極度に自分を押し出すことを憚った言葉には、苦悩に満ちた最澄の紛れもない真実が内包されています。

▼完璧なまでの天才型空海に比べ、最澄は没後、多彩な門弟が現れました。最澄の一灯は、けなげな現代の私達にも、照らし続けているように思われます。

(神原藍)