墨成

編集後記(2019年6月)

▼人の身体は精密機械のようだ、と漠然とは思っていた。しかし体の潤滑油が切れれば歩行不可能になり、一か所のネジが弛めば全ての調子が狂ってしまうことを身をもって思い知らされた。酷いビンタを食らったような“人生の痛み”の経験であった。

▼季節に四季があるように、人生にも必ず秋がきて、冬が来る。「老いの将に至らんとするを知らず」(王羲之)。きっと「風邪をひかなくなった」等と嘯いていたしっぺ返しだろう。藁をもつかむ思いであちこちの診療所を渡り歩き、本を読んだ。根本から治すのは内なる治癒力、との結論に落ち着いた。

▼ネジを締めるのも自分、油を注すのも自分。自分の身体をよく観て、自らを頼って信じる。これは芸術を深めることにも通じるはず。自分を信じなければ何も生み出せない。どうにか出来る、何とかするのだと。

▼山を登るのも同じかもしれない。富士山は遠くから眺めると美しい。それ以上に頂上に立てば、格段の美しさがあるに違いない。砂の地面ばかりを見てきた苦しさが、達成感と共に歓喜に変えられるはずだ。精神の高みと美しさの極み。それまでの道程も懐かしく思い返されるはず。苦しみに耐えて、弱い自分を乗り越えてきた自分に、誇りを持てるに違いない。普遍的な美や強さは、“人生の痛み”を超えた先にあるはずだ。

(神原藍)