墨成

編集後記(2020年3月)

▼日本語に親しむ多くの人達が日常的に俳句や和歌を詠んでいることに、外国の方は“日本人はみんなが詩人か!”と驚くそうです。古代の『万葉集』は現在でも古典としてだけでなく、意味はよく分からないながら「生きた歌集」として現代人は味わっています。それは古代人と同じ心情が現代に生きる日本人の心に流れているからでしょうか。

▼しかし、俳句や和歌を創り嗜む人は“四方にアンテナを張り、常に言葉と格闘している”と聞いたことがあります。簡単に和歌や俳句が生まれるわけではなく、自分の心情を表すため、言葉を生み出すために感性を研ぎ澄ませ、自分を客観的に眺める視点が必要なのかもしれません。

▼今回、本誌編集と同時に、墨成三十周年記念誌に出品された方々の文章の入力を平行して進めました。筆で書かれた作品の背後に書人の真実が凝縮されていて、改めて書による自己表現の深遠さを知りました。自作の歌や 俳句を書に表したい、と作品に向き合った方々も多く、事実の背後の真実を知り、言葉と共に精神の高みに挑む書の力を再確認したのです。

▼美しい言葉に出会いたい。美しい墨の線を見たい。美しい自分に変えたい。それはものごとを感情的に捉えるのではなく、自分を突き放してこそ、 客観的に捉えなければ得られない、と思えてきました。

(神原藍)