墨成

編集後記(2019年10月)

▼無垢なまでにものごとの意味を知りたいという知識欲の盛んな少年から、墨成はどういう意味ですか?と問われた。辞書に書かれている意味ではなく、心の中に湧き出てくる疑問と、純粋に何かを求めているひたむきさが感じられた。

▼「墨」は書、書を「成」し遂げること。 書はモノトーンの世界に見えるけれど、墨に五彩あり。古文書や歴史的な書簡等で脚光を浴びて、“墨が成る”瞬間もある。

▼教育書道から趣味や遊び、芸術の範囲に及ぶ書は地味ではあるが、書の魅力に憑りつかれた者は抜け出せない。たかが書、されど書であることも、筆を持つ者は知っている。消えそうで消えない書の存在。

▼「墨成」は創成期の気負いは消え、マンネリとゴウマンが一番の敵。“墨が成る”理想を達したかと問われれば、藝術の書の道は果てしなく遠い。確実に言えることは、教育と芸術は相性が悪いというけれど、感性を磨き、書を極めたいという同志には、世代を超えて最上のものをという理想は崩していない。

▼墨の魅力は誰が見ても分りやすい線にある。自分を鍛えてゆく爽快感がある。書は嘘をつかない。書が藝術に達することは容易ではないが、明日を生きる礎にしたいという願いは叶えてくれる。魂を込めた墨の線は紛れもなく自分を映し出すのだから。“墨が成る”を信じて。

(神原藍)