
編集後記(2025年6月)
▼再び鄭道昭の「鄭羲下碑」について。風雪に晒された文字は石が欠け一見伸びやかで温かな書風に見えます。本文文字は6~7㎝の大きさで異体や別体の字形も多く、ほのぼのとした雰囲気を漂わせています。今まで法帖を中心に細やかな筆跡を追ってきた目には、大らかに行こうよ、と肩を軽く叩かれる気もします。
▼ところが本文の題額二行に彫られた七字「榮陽鄭文公之碑」は、ほのぼの感が一瞬に消え厳粛な気持ちになります。題字の大きさは約13㎝と本文文字の2倍の大きさ。鋭角に彫られた線条は鋭く、謹厳と緊張感が漲っています。剛直な線条は鄭道昭の人物の懐の深さと共に、父・鄭羲の鬱憤を払うべく強かな精神力が見えてきます。
▼鄭道昭は王羲之と共に天才と称されています。貴族であり、政治家であり、教養のある知識人として後世に伝えられているのは、多くの逸話が一五〇〇年以上も前の人物を伝説化し、遺された書の力によって何倍にもなって偉大さを歴史上に刻んできたからでしょう。書が持つ強さにたじろぐばかりですが、強烈な書の力は線条の密度にあることは確かなことです。
▼鄭道昭は二〇年ため込んだ怒りや鬱憤を岩壁に刻み後世に遺しました。凡人には想像もつかない偉業ですが、後世での評価は鄭道昭さえも予想していなかったでしょう。 (神原藍)