墨成

編集後記(2020年12月)

▼書と文化に掲載の上田桑鳩先生の書は墨で塗った真っ黒な冊子に真紅の絵の具で書いた空海『灌頂記』の臨書。以前、神田で入手した法帖で、空海の魂が乗り移ったかのような迫力がある。今にも桑鳩先生が飛び出して“臨書と言えども型のみを踏襲するのでは意味がない、今生きている者の魂を吹き込め”と訴えているかのよう。小春日和の陽を浴びながら書棚の前で時を忘れていた。

▼かつて桑鳩先生は日展に漢字「品」を書いて「愛」と出品し、書壇に一石を投じた。「品」を「愛」と読ませるには鑑賞者の想像力が要る。“品性は人や仕事への愛でつくられる”と、私は勝手に解釈している。

▼野球のイチロー選手が現役を振り返り「一貫してきたものは野球への愛」と語っていた。自分の才能と可能性を信じ、意思を確実なものにしてきた。自分の力を信じて努力を積み重ねてきたエネルギーは野球への愛であった。そして人生を貫いてきた。桑鳩先生やイチロー選手は、世間に惑わされることなど無かったのだろう。

▼自分の思考や観察や判断への信頼は他者への信頼に繋がる。自分が信じている真理や理性に対して確信を持っている者は、愛の真実をも知っている。それは他者への誠実と信頼に結び付く。真を捉えて感性から始まり、意志で貫かれる愛は、それ故に尊い。(神原藍)