墨成

編集後記(2019年8月)

▼書と文化・高村光太郎の「不可避の道」は、敗戦後、花巻の三畳半の山小屋で書いた書。何が不可避だったのでしょう。

▼妻となる 智恵子と邂逅(かいこう)する前、「自堕落に消え、滅びかけたあの道」を歩んでいた光太郎は、彼女との出会いによってヒューマニズムに目覚めます。しかし、最愛の智恵子は精神疾患を患ってしまいます。光太郎は「地獄というよりも煉獄(れんごく)」を舐めるのですが、「このために非常にぼくは鍛えられた」と述懐しています。

▼敗戦後、光太郎は亡き妻智恵子の幻を追いながら戦争詩を書いたことを内省し、山林孤棲(さんりんこせい)の日常から高潔そのものの精神世界を作品に結晶させてゆきます。「隠遁(いんとん)とはちがう。自分の云ったことに対する責任を負うため」と語っていますが、ここから書と画の藝術が生まれていきました。

▼光太郎は苦難を創作の糧にし、晩年は書の個展を開きたいという願望も持っていました。「書の究極は人物に帰する。書は真実の人間そのものの顕(あらわ)れ」と。

▼人生はスイッチバックのように、行きつ戻りつしながら歩いてゆくのでしょうか。確かに自ら判断して動いていたはずなのに、想定外の結果になってしまった。光太郎とは比べようもなく愚かで未熟、現状に打ちのめされるばかりの私ですが、何ものにも、誰にも依存しないで生きることの難しさをも知る思いです。

(神原藍)